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〜特集〜
【「私を見捨てた父が死んだのよ」…事件は始まった】
以前知人から紹介された新宿のある居酒屋で何回か飲んでいるうちに、私はその女将さん(以下「Aさん」という)の身の上話を聞くようになっていた。
「私は東北の生まれでね」。「私が小学生の頃、父親は、一人娘の私と母親を捨てていなくなっちゃったのよ」。「母親も夫ももう死んじゃった」。「父親は多分まだ生きているんだろうけど、もう95歳ぐらいになるかね。九州に住んでいるという話だよ」。「私には一人息子がいてね、このあいだ初孫が生まれたのさ。でも店(の経営)もこんな調子だろ、まだ祝いも息子夫婦にあげられてないんだよ」…。
私はAさんの話に相槌をうちながら、「でも女将さん、そのうちいいことがあるよ。音信不通の父親が死んで遺産が転がり込んできたりして。そしたら九州へ一緒に行って由布院温泉にでも浸かろうか」と冗談を言っていたのである。
そんな話をした数ヵ月後、2005年秋のある日だったが、Aさんから電話がかかってきた。「鎌ちゃん(筆者のこと)、冗談じゃないよ。本当に父親が死んじゃったよ!」。「えっ、いつ?」。「3ヶ月前に死んだらしいよ」。「でも音信不通だったのに、誰から連絡があったの?」。「それがね、父親の成年後見人の何とかという人の代理人の弁護士から手紙が来てさ。相続財産があるから相談したいと書いてある」…。どうやらAさんの父親は、死ぬ前の数年間は寝たきり状態だったようで、成年後見(※)を利用していたようである。
(※)成年後見…痴呆性高齢者、知的障害者、精神障 害者など判断能力が不十分な方々について、家庭裁 判所が後見開始の審判によって成年後見人を選出し、 財産管理や生活・健康への配慮など支援する制度
【相続財産の内訳…借金があった!】
相続は死者の全財産について包括的に行われる。つまり、あらゆる所有権やその他の権利、それに借金などの債務を一緒にして一つの財産とみる。ある人が死亡すれば、相続人の意図がどうあろうと全財産を受け継ぐわけだから、ときには借金まで背負うという喜べないケースもある。だから相続人は、相続しない(放棄)ことも、相続財産の限度で債務を支払う相続の仕方(限定承認)も、権利義務の一切を受け継ぐ(単純承認)ことも選ぶことができるのである。
行政書士の職権で戸籍調査した結果、Aさんが唯一の相続人であることが確定した。相続財産は、父親名義の土地・建物及び預貯金と、一方で600万円の借金もあった。600万円の借金とは、15年前ぐらいに、父親が起こしたあるトラブルの解決金として成年後見人が父親に貸したお金らしく、借用書もある。当時、父親は、「死んだら、土地・建物を売って、そのお金で返す」と口約束したらしい。
限定承認すべきか、単純承認すべきか、迷うところである。限定承認する場合、相続の開始を知ったときから3ヶ月以内に、財産目録を作成し、これを添えて家庭裁判所に限定承認する旨の申述書を提出し、相続財産の管理、清算を行うという少し面倒な手続が必要となる。不動産価格の相場等を調べた上で、単純承認(権利義務の一切を引き継ぐ)を選択した。
【難しい時効援用の判断】
そこで問題となるのは、15年前の借金である。債権の消滅時効の期間は10年だから、時効を援用するという方法もある。しかし、借りた相手は成年後見人ということになれば、後見の報酬支払いの有無、後見期間はどれくらいでどの程度の後見がなされたのかなどを総合考慮しなければ、信義則上の問題が残る。消滅時効を単純に援用すれば、逆に相手側が裁判に訴えてくる可能性もある。
弁護士にお願いして、相手側(成年後見人の代理人の弁護士)との交渉に委ねることにした。長期にわたる粘り強い交渉の結果、ようやく半額近くにまで借金を減らすことで話がまとまった。
【土地・建物の売却をめぐって…原状復帰義務は誰に?】
次にやらなければならなかったのは土地・建物の売却である。知人に信頼できる九州の不動産屋を紹介してもらい、専任媒介契約書を締結した。売れる状態にするための片付けもお願いし、あとは買い手が見つかったという報告を待つだけと気楽に構えていた。だがそれは大間違いだった。
じつは亡くなった父親は、四国八十八ヶ所霊場めぐりで有名なあるお寺の信者だったようで、自宅にはお堂が建て増しされ、そこに仏像も数十脚安置されていた。お堂は信者がみんなでお金を出し合って建てたという。お堂の天井(宗教的な天井になっていた)及び仏壇その他を片付け仏像を撤去するとなると、やはり信者の方々の了承が必要だろうし、納得の行く形ですすめないと住民感情の上でもよろしくない。しかもそのお堂は未登記だった。これを解決しないと売却できない。もちろん登記は土地家屋調査士に依頼するしかない。問題はお堂と仏像である。
一体誰が片付け、撤去を行う義務を負うのか?法律上は以下のように考える。
@仮に未登記建物(お堂)の所有権が信者らに帰属するとしても、建物が建っている土地の所有者(父親)との関係では無償で、かつ期限を定めずに使用貸借関係が設定されたものと推定される。
A返還の期限を定めなかったときは、貸主(土地の所有者)はいつでも返還を請求することができる(民法597条3項)。したがって相続人(Aさん)はただちに土地の返還を請求する。
B土地の返還にあたり、法律上は借主(信者ら)には原状回復義務がある(民法598条)。原状回復とはお堂を撤去し、更地にすることを意味する。
さすがに信者代表に対して更地にすることまでは要求しなかったが、期限を決めて、「堂内の仏像その他の付属物の引取り」を文書で要請した。これで解決するはずであった。
【宗教者の徳の高さ】
しかし信者代表はまったく対応しない。四国のお寺の住職に業者を紹介してもらい、仏像の撤去費用だけの見積をお願いしたところ、「お布施代含め」約20万。当然この費用は信者たちが支払うはずなのだが、彼らにその気はまったくない。
信者代表との交渉をいくらやっていても埒(らち)が明かないということで、やむを得ず相続人側が費用を負担する覚悟をして、@お堂と仏像について「いかなる処分をされても異議はない」旨の念書を信者代表に書いてもらい、A四国の住職宛に、相続手続が終了するまで撤去費用の支払いを待ってくれるようお願いの手紙を書いた。住職からは、「移転送料費等については当山としては不要です」という配慮ある手紙をいただいた。
仏像を撤去する当日、とんでもない事件が起きた。信者代表がトラックで現れ、お堂内のプラズマテレビ等の高価電化製品を白昼堂々と持ちだしたのだ。立ち会った不動産屋が「こらぁ、泥棒!」と叫ぶ間にトラックは逃げ去った。こちらの撤去の手間が省けたのではあるが、住職の“徳”と信者の“徳”の違いを見せ付けられた事件であった。
【不動産売却、預貯金類の解約手続をめぐって】
もともと子を捨てた父親の死去に伴って生じた相続。Aさんの心境には複雑なものがあった。私も弁護士も不動産屋も、最大限、依頼者(Aさん)の利益になるよう頑張った。しかし、いざ不動産の売却や預貯金の解約手続という段階になると、Aさん本人にしかできないことがある。今後、何かの参考になればと思い、手続き上の教訓、留意点を列挙しよう。
@不動産売買契約当日…土地・建物の買い手が見つかり、売主と買主と司法書士の三者が一同に会し、契約書を取り交わし、同時に法務局へ登記の変更手続を行う。気をつけなければならないのは「印影」。他の公的機関と比べても法務局での登記申請書類に押す印はくっきりしていなければならない。Aさんが押した印は、多分朱肉が古かったのだろうが、印影が鮮明でなく使い物にならなかった。再度書類を速達で送ったものの、三者が集まっている時間帯になかなか到着せず大騒ぎになった。
A銀行預金の解約をめぐって…弁護士に依頼しただが、Aさんは銀行に出す書類の一部を書き損じ、その部分を修正液(通称ホワイト)で消して上書きした。案の定、銀行は再度の書類提出を求めてきた。書類を書き損じたら、修正液ではなく二重線(「〓」)で消すのが常識である。
B郵便局簡易保険の解約…全国どこの郵便局でも手続はできるのだが、必要書類は何なのかよく聞いておく必要がある。しかも郵便局側もよく手続方法を知らない場合が多い。
今回の場合、「死亡を証明するもの」が戸籍上の証明だけでは不十分で、医師・医療機関の死亡診断書等もしくは市町村役場の死亡証明書のいずれかが必要だという。郵便局から言われたとおり九州の市役所に死亡証明書を請求したところ、「死後6ヶ月以上経過しているので法務局に請求してください」という通知を受けた(死後何ヶ月経過後に法務局の証明となるかは地方によって多少違うようだ)。
さらに当初求められた親子関係を証明する戸籍の提出だけでは足りず、解約申請後1ヶ月経ってから「本局から相続人を確定する戸籍書類が必要との通知が来ましたので、再度お越し下さい」という連絡が入ったのである。
いろいろなドタバタの結果、10ヶ月近くかかった相続事件だった。Aさんにしてみれば、母親と苦労をともにし、その後女手一つで子育てをし、いまでも居酒屋の経営で苦労している、その何十年の苦労が報われるにはとても足りないわずかばかりのお金しか入らなかった。でも、「やっと息子と嫁に(私の)孫の出産の祝いを渡せたよ」と小さな幸せを私に報告してくれた。(完)