07年12月
原弁護士に誘われて、11月9日から中国5日間の旅に出かけました。高校2年の娘も「行きたい!」と言い出し一緒に行くことに。
来年のオリンピックを前にした北京市は、オフィス、マンション、そしてオリンピック施設の建設ラッシュという感じでした。一頃の大量の自転車通勤という光景は、いまや大量の自動車通勤の光景に変わり、その結果、排気ガスで空気は澱んでいます。道路沿いのマンションを見ると、家の外に洗濯物を干しているところは一軒もありません。
中国4千年の歴史を感じさせるのは、北京ダック、飲茶料理、四川料理…多彩な食文化でした。 (鎌田)
北京駅周辺にあるスーパーマーケットの看板です。中国では「超市」といいます。街を歩くと当て字も多く、マクドナルドは「麦当労」という看板でした。
北京から地下鉄で一駅の王府井(わんふーちん)の雑貨街。ここで毛沢東が手を振ると秒針が進む目覚し時計を135元で買いましたが、すぐ壊れてしまいました。ちなみに同じような商品が、最初は200元で売られていて、最後は30元に値下げされたのを見て、135元は高すぎる買い物だったと反省しました。
世界遺産・万里の長城。中国の1里は日本の半分だとか。それにしても6,352kmという壮大さに圧倒されます。各地にスカーフ、帽子、民芸品の露天商が散在し、「全部で千円」という日本語で押し売りのように話しかけてきます。万里の長城の修理に駆り出されるのは昔は「苦役」を意味しましたが、いまは「修長城=レンガを積み上げる=麻雀する」という意味だとか。

今年は暖冬?と思っていたら、次々に冬将軍が押し寄せてきて、山はあわただしく冬支度(浅間山)
世界遺産の一つに数えられる中国・万里の長城。もう寒い季節だが、観光客めあての中国商法は盛んだ。
甲斐駒ケ岳のふもとでも、秋の収穫が進む。暑かった夏のおかげで今年は豊作だ。(山梨・白州)
大井川鉄道C11SL急行の雄姿。たまにはゆっくりSLの旅でもいかが?
(静岡県・千頭駅)
終点・千頭駅から南アルプスあぷとラインで寸又峡(すまたきょう)温泉へ
かねてから一度は行ってみたいと思い続けてきた大井川鉄道。夏休みを利用して、ついにその念願を叶えた。国内では高度経済成長とともにSLは次々と姿を消したが、1976年、日本で最初にSLを復活させた鉄道としてファンも多い。トンネルをくぐり、お茶畑の緑のじゅうたんを楽しみながら、大井川を縫うようにしてゆったりと走る39.5kmは、まさに至極の時間である。私が乗ったC11型312号機(写真は1面に掲載)は、もともと三重県のドライブインで保存されていたものらしいが、1988年にこの地で現役復帰した。しかし今月8日、ついに老朽化のため引退、その波乱の人生(?)に幕を降ろした。(満)
余部鉄橋――「夢千代日記」の導入シーンとしても有名
国内最大級の妻木晩田遺跡(後方は美保湾)
奈良時代、役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で投げ
入れたという三仏寺・投入堂(国宝=鳥取)
おそらく山陰は奈良より古い。素盞嗚尊(スサノオノミコト)が詠んだとされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(古事記)」は、和歌の起源とされる。山陰の旅は、水の都=松江から始まった。季節柄そのすべてとはいかなかったが、宍道湖七珍に舌鼓を打ち、出雲大社では神殿の勇壮な姿もさることながら、「雲太、和二、京三」との平安時代の口伝を証明した巨大な杉の柱の遺構に圧倒された。さらに製鉄技術をはじめとする古代出雲の文化と技術の水準の高さに驚かされ、写真家・土門拳が“日本最高の木造建築物”と賞してやまない三徳山三仏寺・投入堂に見入った。
そしてもう一つ、山陰といえば、余部鉄橋が有名である。しかし、この鉄橋も安全上等の理由から、コンクリート製の橋に架け替えられることが決まり、すでに基礎工事が始まっていた。今年、石見銀山が世界遺産に登録されたが、この鉄橋もまた、日本の近代化と高度経済成長をこの地で支えた貴重な文化・産業遺産である。
平日でもにぎわう柴又・帝釈天の参道。寅さんの実家のモデルとなった団子屋さんも健在。
いよいよ入梅。うっとおしくても農業や自然環境にとっては大切な雨の季節の到来にはやはり紫陽花が似合う
葛飾区にある会社(クライアント)で打合せを終えたある日の夕方、柴又駅で降りた。初めての地であるにもかかわらず、なぜか懐かしく、ホームに降りたすぐに、あの辺りでさくら(倍賞千恵子さん)と別れて電車に乗った寅さんの顔が浮かんだ。ちょっと不貞腐れ、ちょっとはにかむあの顔を。改札を出ると、いるではないか!雪駄履きの寅さんがカバンを提げて立っている。
「寅さん」こと渥美清さんが亡くなって、8月で11年になる。しかし、柴又は今でも「寅さん」がよく似合う。
空いっぱいに数百匹の鯉のぼりが群れなして泳ぐ姿は圧巻
(南清里道の駅)


3月末に小諸の懐古園を歩いたときに見つけたのが山本勘助愛用の「鏡石」。武田信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助に小諸城の築城を命じたという。勘助が築城の際に研磨してつくったのがこの鏡石。朝に夕に、おのれの顔を映し反省したとか。山本勘助が今年のNHK大河ドラマの主人公とあって、懐古園は「風林火山」ノボリが林立していて、ちょっとしたお祭りの雰囲気だった。
「隕石ともいわれている」の説明には、心なしか幻滅…。やはり勘助が磨いた石であって欲しい。(鎌田)

東京にもたくさんの古墳(群)が存在していることをご存知だろうか。大田区田園調布から世田谷区等々力一帯の高級住宅街が、実は多数の古墳に隣接し、あるいはその上に形成されているのである。多摩川沿いに広がるこのあたりを多摩川台古墳群というが、4世紀から6世紀にかけて関東一体に勢力を誇った巨大豪族の首長たちが眠っている。一部は公園として整備され、子供たちの恰好の遊び場である。そして、ちょっと足を伸ばせば、「ここが東京?」と目を疑うようなうっそうとした緑の等々力渓谷。もうすぐ春、たまにはいかが?
子供たちの恰好の遊び場に(世田谷区・野毛大塚古墳)

普段なら厳しい寒さに耐えて花を開く福寿草、
すでに「春一番」も吹いた記録的な暖冬に、さて花の心境は・・・。

解け出した屋根の雪が夜の冷え込みで長いツララに(八ヶ岳)